草津に来た当初はトタン家の屋根裏部屋に車中泊みたいに過ごしていました。案外にも過ごしやすく楽しんでいたのですが、外の寒さでオシッコを我慢する毎日だったことが原因で大晦日に尿管結石デビュー。
地獄の苦しみを味わう元旦スタートで、これからの草津営業に明暗が立ち込めた時に、草津の人たちから3DKのアパートを紹介され、テレビからベッドから家具家電一式揃えてもらい入居する。
草津は対面一車線の道路で繋がった標高1200メートルに位置する小さな街なので、佐渡島と同じ離島のようなものだ。
佐渡と唯一共通点があって、噂が流れる速さが5G並みに速い、だが佐渡と決定的に違うのは草津で流れる噂の内容は、
「自分に有益な情報&不利益な情報」
であり、佐渡の場合は現実に自分に関わる損得より自分の承認要求を満たすためのアイテムであり、手早く言うと応援していないのに飛ばすヤジと、応援してるから飛ばすヤジの違いみたいなもの。
実は草津口でトタン家をしていて、本来は湯畑の真ん前に移るはずだったが、そうなると一人で営業は不可能だし、草津の地元の人は来れなくなるので移るか悩んでいる時に、湯畑から少し入った場所を紹介してもらい、今の場所に移転した。
その1週間ほどの移転作業の間に草津の中で、「屋台が佐渡に帰ってしまったのでは」という、また屋台に行けなかった草津の人には「不利益」な噂が駆けまくったらしく、店主はよくスーパーで見かけるみたいなことも流れた中で、なんとか草津に留まらせようと草津の人たちから今度は一軒家に住まないかと紹介された。
バイクが好きだって話をお客さんにはしていたので、特大のスケルトン型ガレージが付いた一軒家で、なんとデカいテレビから家具から一切合算が揃ってる、しかも走行距離1万行ってない車まで付いてる!(笑)住んで気に入ったなら、掛かったリフォーム代くらいで売っもあげるという話、てか、こんな自分の理想の一軒家って無いくらいの造り。
これで今の家賃はアパートと変わらずで引っ越すか正直悩み所…、散々日本の津々浦々住んで来たのですが、正直、草津人情がこれほどだとは思わなかった…。
観光消費額379億円を誇る草津は移住者の街と言っていいくらいに移住者が多い、移住者の殆どは草津という街と、草津で産まれた人に感謝して、助け合い譲り合い生きている。
屋台は一人の人間が、一人の人間として飲みに来れる場所なので、移住者のお客さんから移住して来たお客さんから色々な話を聞く、正直、自分が草津に来た経緯より遥かに凄いものを背負って草津に辿り着いた人たちの話も沢山聴いた、その中で草津の地元の人たちは屋台に来ると自分にこう言うのです、
「草津ってのはね、みーんな楽しくやってるみたいだろうけど、いろんな辛い過去を持ってここに来た人もたくさんいるんだよ」
目頭が熱くなる前に、今の自分には、この言葉は勇気が出る、多少のヤジがあったとしても、草津ではこうして地元の人たちはメンタルを重視した上で物質的、経済的な応援までしてくれる。
自分は今、草津の人たちの、昼のランチをして欲しい、おでんの持ち帰りをして欲しいという温かいヤジに応えるべく頑張っています。