こんなん図書館から借りてきました。
妖怪を知らずして日本の 伝統文化は語れない!!
と、豪語しているのですが、別に伝統文化じゃないと思う今日この頃。妖怪ってのは俗世間にどっぷり浸かった大人には見えないわけで、妖怪を見たければ山道や廃屋に行ったりする前に、己自身に曇りなき好奇心を養うことが大切だ、 一度も妖怪を見たことが無い自分が言うのだから
間違いない。
妖怪が見えるという鳥取県の水木しげる先生はまさに自分のあこがれの存在だが、自分の鳥取出身の友人は酒を飲むと幻覚が見えるようなので、何にせよ何かが見えるだけでも鳥取県民にはジェラシーを感じてしまう、そんでもっていつか妖怪に出会えた時のために妖怪辞典で知識だけでも詰め込もうってことです。(この時点で俗世間に染まっているような・・・)
さすが水木先生のイラスト付の妖怪辞典だ、50音にぎっしりと妖怪があるー♪そんな中、こんな妖怪に目が止まります。
「赤子」 あかご
長野県大町市木崎湖でいう妖怪。11歳~12歳の子供のようなもので、
特に害があるわけでもなく、
水中に隠れているのを時おり漁師が見かけるくらいだという。
最高ですね、特に害も無く水中に隠れている子供を見つけて見たいです。木崎湖に行く時は釣り針の先に飴でも付けてみましょう。 「算盤坊主」 そろばんぼうず
京都府船井郡西別院村笑路(亀岡市)でいう妖怪。笑路の西光寺のあたりを歩いていると、坊主のような男が現れ、盛んに算盤を弾き出すという。昔、この寺の小坊主が計算の間違いを、
和尚にののしられ、それを苦に首を吊った、
その子坊主の亡霊が妖怪になった。
これまた無害!しかしながら亀岡市の西光寺あたりを歩いて、是非とも
「いきなり坊主が現れ、盛んに算盤をはじかれてみたい!」
という欲望と衝動を抑えることができません。妖怪になった理由が単純です、ののしられると妖怪になれる?だれかおいらをののしってくれぇ。
このとおり、妖怪にはいろんな種類があります、人間に危害を与える妖怪はそれほど多くはなく、無害なのがいるというより、
何のためにいるのかわからない、しかもわけわからない
妖怪も多いのです、「小豆洗い(あずきあらい)」なんかの妖怪はまさに、
小豆を洗うしか能か無い
という、 そのまんまやないけ的
存在なのでが、人間にとってどうでもいいことは妖怪にとっては立派に存在理由になるほど意味のあることだったりします。
こんな奥深い妖怪の世界は逆に人間社会の業の深さや醜さ、そして構造が似ていたりもします、「何のためにいるのかわからない」という存在は、人間においては様々です、爆弾を作る奴、爆弾を撃つ奴、そしてそれを利権に行使する奴・・・、社会的に落ちこぼれて自分の存在意義がわからない若者もしかり、妖怪というのはそんな人間の布石を皮肉にも照らし合わせて存在しているのかもしれません。 柿の木の手入れをせずに、実った柿をそのままにしていると現れる妖怪、
美しい氷柱を見てた男が、「こんな美しい女がいれば」と言ったら、美しい女がその男の元にたずねてくるが、風呂に入れたら溶けてしまう妖怪。
妖怪の存在理由ってのは人間の欲やだらしなさを正す存在として日本全国だけではなく、世界にも言い伝えられているのです。
西洋の妖怪 バック・ベアード
自分の中ではヘラクレスオオカブト的存在
そうそう、妖怪といえばこの人、アニメでも放映された、「巷説百物語」の京極夏彦さんを忘れてはいけません、彼も妖怪は見えないようですが、そのこだわりはハンパじゃございません。なんたって最近の新作の名前がすごいです「腐小僧双六道中ふりだし 本朝妖怪盛衰録」、さすが京極先生ですね、私の期待を裏切りません、
題名からすでにわけがわからない。
という徹底ぶり
世の中にはね、何のためにいるのかわからない、わけがわからないものが存在していいんですよ、それは自分の心の合わせ鏡、いつしか無くした追求心と好奇心。わけのわかる富や名声なんてそれこそ大人の世界のつまらない道理、ホリエモンはね、富を呼ぶと言われる座敷わらしを六本木ヒルズに監禁しただけ、そんでもって油断していたら非常階段から逃げられちゃって、今度は通風口から貧乏神が入り込んで住み着いたんだとさ。
- 関連記事
-
|