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津波が起きて、世話になった方が行方不明になり、ガソリンと米を満載して大槌町に行く時、自分にこうエールを送ってくれた人がいた。
「修羅の道に踏み込んだあなたが今刻み込んでいる事を佐渡に戻られたら、私をはじめ、いい湯に浸かっている多くに、冷や水をかけてくれることを望みます。無事でお戻りあれ。」
瓦礫に挟まれ回収できない遺体、安置所での確認作業・・・まさに修羅の道であった、平凡で平和な生活に戻ってからの自分は鉄の塊を口に入れ噛んだような、内側から溶かされるような地獄を味わった、そしてそれは今でも幾ばくか残っている。
自分でその道に踏み込んだのだから仕方ないとかではなく、阪神大震災の傷跡を知る自分には十分に予測できたこと。
あの地獄の中で、津波発生後1200キロ近くを走って阪神大震災のあった兵庫の災害救急車と尼崎の水道関係の会社のタンク車が水を積み、いち早く大槌町に入り被災者への対処をしていたのを見たとき自分の中にマリアが舞い降りたのを今でも覚えている
【東北大震災】 http://kairou.blog54.fc2.com/blog-category-59.html
※本日広告は控えさせて頂きます。
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2016/03/11 07:15|東北大震災|TB:0|▲
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あれから4年が経ちました・・・・
まだ自衛隊の重機が入れない孤立した岩手県大槌町に、行方不明になったうちで働くスタッフのご両親を捜索しに私は行った。
最近もサメタラのことで掲示板でありもしないデマ話で祭りになっていたが、震災あの時、佐渡じゃむの掲示板で「偽善だ」「店の宣伝のためにウケ狙いと話題作りで行ったんだ」とそれはそれは凄まじいお祭り騒ぎだったのに比べれば甘く、ぬるく、軽いもんだ。
あの時、温かい部屋でこたつにでも入ってそれを打ち込んでいた人を正直羨ましかった。
重機が入れず、瓦礫に挟まり取り出せず、まだあちこちに存在する犠牲者。
遺体安置場に行き、大人子供関係なく一体一体ご遺体を確認してまわった。
あの地獄のような風景を、凄惨な現場を、そして人々の悲しみを、間近で見ないで済んだ人たちは幸せだと思った。
でもね、その考えは間違いだったのだと今は思っています。
たとえ偽善でも、邪な目論見があろうと、自分の意思で趣き行動するという自分の尊厳を、人の思考と比べるなんてことこそが自分が未熟な人間である証。
未熟な私は未熟なりにこの4年間で進歩したのだろうか?それを考えると寝れない夜がある・・・・。
来年の今日はそうでなくなっていることを願い、合掌。
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2015/03/10 06:52|東北大震災|TB:0|▲
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震災から明日で二年が経ちます。
震災直後、まだ陸路は寸断され、自衛隊も入れぬ壮絶な遺体だらけの大槌町に行方不明のうちのスタッフの家族を探しに行った。 単騎で入町した自衛隊員の列と荒野の中ですれ違う、自衛隊員は重機がまだ入れないのでその手には脆弱なスコップがあり、自分たちの無力さを感じてか、すれ違う自分らに目線を避け、無気力に下を向いていた。それはまるで八甲田山の雪の進軍のようだっ・・・た。

佐渡島では佐渡じゃむの掲示板で家族が被災したスタッフや私をを面白おかしく中傷する「祭」が起きていたが、そんなのはどうでもよく、現地はまさに地獄そのものだった…、遺体安置所を巡り、白黒の免許証コピーの小さな写真を照らし合わせ遺体を一体づつ確認した。
その移動の時に車のラジオからリクエストで頻繁に流れてたのは「瑠璃色の地球」、まだ福島原発が最悪の状態であるとは国民は知る由もない時にこの曲が流れた、「わたしたちの美しい地球を守りたい」と、・・・・・何故だが原発も何も関係なく、その絶望的な津波の破壊に為す術もなく帰路に向かう途中、この曲で目頭に涙が込み上げてきたのを覚えている。
新潟では震災瓦礫の受け入れ問題では必ず、賛成派も反対派も、マスコミも「大槌町の瓦礫」と町名で運動し、報道する、この新潟にも大槌で生まれ育ち、家も、思い出の品も、そして、家族も失った人がいるというのに。
目の前に広がる海、丘から一望できる太平洋の夕日、秋には町を取り囲むような紅葉の美しさ・・・
それが大槌町だった
それが大槌で生まれ育った人の思い出だ。
それを、プラカードに「大槌の瓦礫焼却反対」と書き込み運動をする、報道する、それに対するイラつきと、怒りは、あの惨劇を知る自分には今もある。反対運動、市民運動大いに結構、言い分もよく解る。だが、生活を守る、安全を守る、人を守る、地球を守る前に自分のモラルも守ってほしかったのです、
守ってほしいのです。
よろしかったらチェツクを!( ゚д゚)、ペッ ↓
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2月より新発売!
出世街道ラーメン各種
※画像をクリックすると各メニューが見れます。
 
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2013/03/10 08:41|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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今日も変わらぬ日常、そして営業をします。
出世の看板娘のMちゃんも、変わらず元気にお客さんに注文を取り、ラーメンを運びます。
典型的な東北美人のMちゃんフアンのお客さんは出世に結構多かったりするのですが、彼女の笑顔は今日も変わりません。
変わらず元気です。
これからも
いつまでも
今日で全てが終わるさ
今日で全てが変わる。
今日で全てが報われる
今日で全てが始まるさ。
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2012/03/11 10:22|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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福島県へのお得意さんへのキムチの発送が無事終わった。いつも大人数での一括大量注文してくれる、いわば「真紅のキムチ」フアンの女子会の方々である。
だが、正直、もう注文が来ることはないのではないかと思っていた・・・。あまりにもずさんな政府の対応、そして風評被害、挙げたらキリが無いのだが、福島県の今の現状は元の生活に戻って通信販売で何か買うなんて状況じゃないはずである。でも、こうしてヤンニョム(キムチの元)とキムチの注文が依然と変わらず来るということは、皆が元気でいるというメッセージのような気がしてならない。
この時期のニラは溶け易いのでニラ抜きでのヤンニョムの製造です。佐渡の梨、りんご、果実酒、佐渡自慢の塩辛、能登の漁醤、アミエビの塩辛、カツオの酒盗、など、入手しうる最高の素材で最高のキムチを作りました、たぶん世界一旨いキムチなはずです。
岩手県の大槌町に震災後に行方不明者探索に行った時、絶望と地獄を見て無力なままにこの佐渡に帰って来た。自分の中では「あの」阪神大震災の地獄絵図となんら変わらず、それなりに時間が経過すれば当たり前のように瓦礫が少々片付いたくらいで「順調に復興しています」みたいなマスコミの報道に、政府の対応に嫌気がさしていたが、何か本当の意味での、人間(ひと)が人間としての尊厳に満ちた、木の芽のような「自前の復興」を感じた。
真紅のキムチ
東北大震災記事
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2011/07/28 05:21|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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望遠デジタル一眼レフに大槌町のこの写真が収められていた。車内から望遠で撮ったものなのだが、目を疑いたくなる光景であった。なんと、防潮堤に一軒家が乗っているのである。 (動画)この防潮堤は逆側は砂浜で10数メートルあった、一軒家が浮かぶ水位を考えると津波だけではなく、引き波の時の水位も相当なものであったことがわかる。
大きな地図で見る
写真を撮った場所は上の地図でもはっきりわかる海岸線右側崩壊部分で吉里吉里地区である。吉里吉里には、フィッシャリーナ堤防・白堤防・赤堤防と三箇所堤防があったのだが、このうち、海岸線にあるフィッシャリーナと白堤防が津波で決壊してしまった(Googleマップ右側)これにより街中心部がほぼ壊滅状態になったということは、この部分が多少、持ちこたえてくれれば、これほどの被害は出なかったのではとも思える、その証拠にマップで見ると海岸線の左上の崩壊していない部分の先は建物が消失しておらず、津波の直撃を受けていない。
巨大津波に防潮堤など無意味
のような考えというか、戒め的な考えが一部にあるが、こういう部分もこれからの復興再建のデータになればと思う、(当然専門家は網羅していると思うのだが)日を追うごとに冷静に自分の見た現状を分析できるようになったのは、あの惨状の記憶が薄れてきているからではない。津波に意思など無いのだが、まるで河を目指し昇って行ったかのような跡、人の気配すらを街から消し去った静寂の中の虚無・・・。たまに、何も知らずにこのブログに「復興義援金を何故募らないのか?」なんて言うお気楽セレブみたいなのがいるのだが、自分にとってはまだ始まったばかりなのだといつも思う。
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2011/06/25 15:16|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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まもなく賞味期限が切れるお酒がある。
以前震災記事で書いた岩手県大槌町の赤武酒造さんのリキュールである。酒とは飾るものではなく飲むものであるがゆえ、これに合った料理を作って飲もうと思う。かの南部美人の五代目蔵元の久慈氏からこのようなお言葉を頂いた。
赤武さんは、本当に大変だったと聞いていましたので、写真を見ると、涙が出てきました。良くアップしていただきました。ありがとうございます。 ぜひこれからも岩手のお酒を応援してください。
そこで写真を一枚
星一徹の王貞治との対決の名言
「オレの見方は酒と野球だ!。」
大山トチローのハーロックとの初対面の名言
「男のプライド?戦士の誇り?オレには興味無いね、戦いの中で生きる男にとって最も大事なことは、まず腹ごしらえだ。それから酒だ。」
私は未熟である。
だが、私はこういう漢でいたい。
酒は飲むことしか能が無い、
が、飲むなら私にもいつだって出来る、酒を見方につけるなら自分でも出来る。
それだけでも何かの力になりたい。
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2011/04/14 14:09|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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震災から一ヶ月自分が被災地に赴いてから2週間が経った。様々なメディアの情報が流れ、大凡のことが被災地以外の我々でもわかるようになった。だが、復興が始まり、徐々に将来的なビジョンを見据えなければならない今、メディアでは流せられない情景を配信しようと思う。
写真は盛岡方面から海方面、大槌町に行く途中の国道45号線である。まだ海が見えぬ丘の上40メートル付近でこのうような看板があった、

「これより先津波浸水想定区域」
これだけ高い位置に、ちゃんとこのような警告が成されていた、
予測していた、網羅していた、把握していた、
そして
備えていた。
そして、その備えはこの道を更に下って行くとこのような結果で視界に広がる
山を下り町に出るとそこには消滅した町があった…。
拡大して写真をよく見てほしい、山肌を削りくっきり見える地層の壁を。そう、人々は山を削ってまで、「津波浸水想定地区」に町を作り家を建て、そこに住んだのだった。限られた土地の中、こうすることで町を広げ、それなりの生産と産業を両立させ今まで暮らしてきた。そしてその結果、町の90%は津波に呑まれてしまった。
過ちを認めるということは人にとって勇気がいることだ。だが、国が過ちを認めるということはナンセンスな話であって、そもそも「国」という個の存在でもなく感情もそこには無い、当時の政権がどうのこうのでもなく、長期的な「国策」の一つであり、何をするにもお金がいるということだ。
そしてその国策として、国道という国の道に設置された津波警告標識は今回のこの町の津波浸水の更に30メートルも上に設置してあった、莫大な予算をかけ巨大な防潮堤を造ったとしても、それに奢ることなくこのように国は起きうる最悪の規模の津波災害を想定していた、計算していた。それは
「国は間違っていなかった、何よりも誰よりも正しかったが、結果、間違えていた。」
という矛盾に満ちた答えとなる。
これからの復興とともに、国は「この標識」のように予想される津波の高さの更に倍に設定したくらいのオーバーな警告を発し、正しさと間違いを称え、人々を今度こそ真の安全な、安住の地へと導いてほしい。その方法や政策は今後議論され何らかの形を成すのだろうが、今はこの真実を皆に知ってほしいと思います。
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2011/04/11 16:03|東北大震災|TB:0|CM:1|▲
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こんだけ天気がいいと、冬場眠っていたバイクを出して水拭きできますね♪乾いたら・・・・あっしはCRC666で磨く派でございます。他のバイクも軽いキャブ洗浄で一発始動!電気系に難があるのは毎年のこと!4月1日はバイク始動の日でもあるのでした♪ ■ 震災関係の記事へ進む ■
【お知らせ】
4月1日よりランチタイムラーメン販売開始! ただ今東北大震災により北海道、青森県より取り寄せています熟成多加水麺の食材が届かなくなっており、次郎長ラーメン以外の亀の手ラーメン等の販売が出来なくなっております。(他にカレー、すじ丼もございます。)
エスライフなどを見て遠方からお越しの方には大変ご迷惑をおかけしておりますが、地震による現在の状況につきご理解の下さいますようお願いいたします。
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公共施設、学校や役所や消防署が木造なんてことは今の時代にはほとんど無い。逆に考えると公共施設とは屈強な重量鉄骨とコンクリートで建造されており、災害時には時に避難所になったり、指揮系統の拠点にもなる。 と、上記に書いたこと、 それが常識であったこと、 そんなことが全く存在しない世界がそこにあった 病院、二階までがメチャクチャ壊れている、くの字型なので車や瓦礫が引っかかり大量な残骸が病院を埋め尽くし使用不能にした(窓という窓から車が入り圧縮されていた。) 町役場、まさしく全て流されている、防災指揮を取ろうとした町長がここで流されてしまったらしい。 消防署、赤スプレーの通り犠牲者も多かった、本来なら防災の拠点でもあるのだが、破壊の度合いは凄まじく「火の用心」と書かれた消防車を格納する分厚い鉄扉がアルミ板のようにグシャグシャになっていた。 小学校、4階建てということで、本来なら津波からの避難する場所になりそうだが、規模が大きい分大量の車がなだれ込み圧縮されガソリン引火による火災が発生する、左側面の火災の凄まじさがわかる光景だった。 コンクリート建築の大型の施設は一見安全のように思えたが、衝突面積が大きい分、海から離れるほど津波のスピードが増し、そこに混ざった車が浮力により更にスピードを増してロケット弾のように施設に突っ込んでいる。それらは高速道路などで見られるフロントだけではなくフレームまでペシャンコになるような縮まり方で、ありえない場所にありえない台数が入り込んでいた。それにより、その台数分のガソリン引火による火災が発生すると、どんなに大きな施設も火の海と化す可能性がある・・・。 阪神大震災では、その後、地震による「崩壊」という被害を念頭に最初は一軒家の免震・制震構造などが次々と開発され、科学的なメカニズムを徹底的に解析し、ついには高層マンションにもその技術が取り入れられた。 だが、津波の前では恐らくどんな最先端の技術も、出がらしのように吸い尽くした究極の理論も根拠も通用しないことが証明された、911テロではないが、ジャンボ旅客機に衝突され、傷一つ付かない建築物は造れないということ。阪神大震災で中堅工務店から大手建設会社までがこの「地震による建築物の崩壊」という分野で、「地震による耐震ビジネス」で業績と信用を得、株価を上げてきたかもしれないが、今回の東北大震災で「地震による津波」という分野での「津波による耐波ビジネス」というのが生まれるのは恐らく皆無であろう。
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2011/04/02 09:07|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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さぶっ!
まだまだ寒いです、Gパンなんざでバイクは乗れません!
しかも怪しい
しかしながらこのバイクを売らせるわけにはいかない、がんばれ、ばち!
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【お知らせ】
4月1日ランチタイムラーメン販売開始! ただ今東北大震災により北海道、青森県より取り寄せています熟成多加水麺の食材が届かなくなっており、次郎長ラーメン以外の亀の手ラーメン等の販売が出来なくなっております。
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大槌町にとある酒蔵があった。灘に似た山を背にした海沿いの地形は良質の軟水を生み出し、近隣の酒蔵も仕込み水に使うほどの名水にして、海に近い酒蔵らしく「浜娘」という小粋な日本酒を造る蔵元であった、その中でも「海龍」は大槌町の中心の小高い山の上にある町の守り神的存在の寺院「海龍山江岸寺」より名銘をとったものだ。 純米酒海龍は酒通にはたまらない逸品で、中でも海龍秘蔵生酒は東北清酒鑑評会13年連続金賞受賞という物だ、こうして見ると純米に力を入れ限定生酒と筋金入りの酒蔵に思えるが、岩手の山間で豊富に採れる山ぶどうで作った「山ぶどうリキュール」などにも力を入れていた。 山ぶどうのワインならわかるが、リキュールとなると想像するだけで豊満な香りと強烈な酸味と甘みが味わえそうである。こういう柔軟な酒蔵は古より伝わる手法と新しい分野の融合が期待される良蔵である(賛否はあるかもしれないが) だが、私が被災地に着いて見た光景はこうだった… 頑丈な酒造タンクは津波の凄まじいエネルギーでまるでアルミの缶ジュースのようにベコベコになり無残に四散していた、明治29年の酒蔵は消滅していた、近代製法に限らず酒蔵というのはフォークリフトや洗米機など重たい機材が多いが、見ての通り何も無くなっている。残っていたのは昔使っていたであろう円形のレンガの釜下の薪床だけだった。 それだけでなく街の中心の山にあった「海龍」の名の源になった海龍山江岸寺も津波に飲まれ消滅、御住職も行方不明のままである。 津波が奪ったのは歴史や信仰や象徴だけではない、全てを奪ったのだとこの光景を見て思うしかなかった、自分もかつては酒造人として蔵元で汗を流した人間として憤りを越えた無念の気持ちが湧いてきた。 「海龍神水」 山のイメージが多い岩手県で、海を愛し、龍を称え、神を敬い、水と生きた酒蔵の「海の酒 浜娘」は姿を消した。もし再び復活再建できるならもう一度母なる海の酒を飲ませてほしい、今回の津波で海というものを恐れ、おののきひれ伏したとしても、やはり母なる海に敬意と感謝の意を込めて「海の酒」を我々日本酒を愛する者たちは飲んでみたいと思う。 この記事を読まれた日本酒に携わり、日本酒を愛する方々は岩手県に同様に被災された酒蔵も含め、赤武酒造の再建のご支援、ご支持をよろしくお願い致します。 赤武酒造株式会社 設立(創立) 明治29年 所在地 岩手県上閉伊郡大槌町末広町3-3 TEL 0193-42-3650 FAX 0193-42-7660 地図
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2011/03/30 12:10|東北大震災|TB:0|CM:1|▲
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「豚屋(ブタや)は相手にするな。」
原発の放射能がアメリカでも観測されたりで今後お先真っ暗な雰囲気なのですが、それが原因なのかおかしなことが起きている、上に書いたのは「付き合うな」ではなく「相手にするな」、商人にはこんな言葉があって、問屋さんが欲に走り、本来の商いの商道を外れ利益だけを求める豚(外道)になった時はたとえ先代からの長き付き合いであっても手を切れということです。西では多い寸借詐欺を未然に防ぐための戒めでもありますね。
問屋さんはメーカーからロッド単位(大口)で仕入れて値引いた分、それを在庫として複数の顧客に自分の利益も加算して小売する、当たり前と言えば当たり前なのですが、最近の不景気?のせいですかね、自分の取引する相手に堂々と豚屋にならざるを得ない商いをしなければならないようです。メーカー卸のロッドで顧客に売る。内緒にすればいいものを、メーカーロッドを提示してから後出しジャンケン的にそのまま発注。
早い話は売った時点で在庫原価回収率100%、在庫0ということになります、それなら問屋は在庫は持たないで良くなる理屈になるのでワンルームでも開業可能ですね、メーカーからお客さんにそのまま商品が渡るだけでペーパーマージンが入るわけで、それじゃ「問屋」じゃなくて「商社」の真似事です。
ですが、これは例えるなら、お店がカレーを出すとする、お店は問屋にカレーのルーと福神漬けを注文する、しかし、カレーはメーカーが1ロッド20キロで福神漬けも同じく1ロッド20キロだったとする、するとお店はカレーという商品を出すために、少なく添える福神漬けを20キロも買わなくていけなくなり、膨大な在庫を持ち管理しなければいけないということです。問屋さんがカレーは10キロで福神漬けは1キロという注文は受けないという矛盾。
こうなると、それが店の主力商品だったとして、問屋が値を吊り上げてメーカーロッドでしか販売しないとなると小売店は一気に原価率が跳ね上がるということです、問屋との信頼関係は存在しない上から目線の縮図でして、小売された物を売るから小売店という常識が通用しない。佐渡だからという訳ではないのでしょうが、本来なら絶対ありえないシステムが存在するというのはこれからもし更に不景気が悪化するなら問屋さんの方が先に息が続かなくなるのではと思います。
たとえ他より高くても買うのは信頼関係
一円でも安く得な方を買うのは一般常識
信頼関係を取るか一般常識を取るか…、それは小売店だけでなく問屋(豚屋)さんもどちらか片方を選ばなければならない時代がそのうち来るような気がします、風評的な噂やデマですぐに小売店から利益を回収ってのは日本人だから仕方ないとはいえプロじゃないですね、現に大口、小口に限らず5000円以上の購買なら全国送料無料なんてナンボでも出てきているご時勢ですからね。
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【お知らせ】 ただ今東北大震災により北海道、青森県より取り寄せています麺なの食材が届かなくなっており、ラーメンの販売が出来なくなっております。
エスライフなどを見て遠方からお越しの方には大変ご迷惑をおかけしておりますが、地震による現在の状況につきご理解の下さいますようお願いいたします。
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地震で不通になったJR山田線、この線路は大槌町から山田町への区間は高台に走っている。 高台の線路から海を見ると線路際の家は津波の被害を受けていない、津波が来たときにこの線路の方角に逃げて難を逃れた人も多いだろう…、一見何の被害も無いようなこの風景を見ながら大槌方面に線路を歩いていると高台の線路際の民家が途切れ、一番下の陸地がにこのような光景で眼前に現れる。 高台の線路 その一段下の線路際の家 そしてまたその下に広がる街の家 いったい何が運命の境界線になったのか、口にするのはあまりに簡単だが、この光景を見て口にすることは出来ない。
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2011/03/29 06:30|東北大震災|TB:0|CM:1|▲
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裏メニュー「二郎痛め」
さて、いろいろあって東北大震災の記事を書いてきましたが、ついこないだまではこんな記事を書いていまして、それがこのアホブログの売りだったわけでして、記事を分けたとしても震災の記事がトップに来てしまうと否応なしに見えてしまうのでしんどいというお言葉を頂きました。 確かにうちは飲食店のブログ、地域情報やお店情報とかも配信しなけれななりません、別ブログを作る余裕も暇も無いのは確かです・・・。
断っておきますが、ご指摘頂いた人は別に震災のことがテンション落ちるとかじゃなくて、こういう時だから笑える明るいネタが見たいということです、しかるしてこのブログのアクセスはyahoo検索とGoogle検索がトップなので日本全国からアクセスが来ています。ということは、ほんの些細な情報も役に立つかもしれないということも考え、その中には凄惨でかなりキツい内容もあるかもしれませんので、何とか読みたい人だけが読める任意にできないかと考えました結果、本日から震災関係の記事は追記事の方に書かせていただきます。
下の「震災関係の記事へ進む」をクリックすると読むことができます、読みやすいように横幅を広げて写真を大きく表示しています。今日から本来のアホネタありの「佐渡の太陽」に戻りますが、これからもよろしくお願いします。
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大地震が起きた時に真っ先に必要になるのは水、水と言っても時間の経過と共に必要な水の「種類」が変わってきます、まず最初は言うまでも無く「飲み水」です、飲み水とは消毒がしてあり、飲んでも健康上問題無い水で、次は「排水」、これは人の生理現象から考えると一日二日中に、特に女性には必要ですね、水道が止まったトイレなどに上から強制的に水を流せば下水道に空間があるのであれば流れて行きます。流れればいいのでこれは泥水だろうと海水だろうとOkということになります。次が「生活水」、人によりますが風呂に入らずに我慢できるのも一週間ほどと考えた時に、「飲み水には適さないがそれなりにキレイな水」が必要になります、その他、下着や食器の洗濯など、よく考えるとこの「生活水」というのがかなり大切なのです。 写真は地震による津波後に、山の沢水をパイプで県道沿いまで引いてきたものです。本当は飲めるのでしょうが、生活水としては申し分ありません、自宅が被災しなかった人たちは皆ここに洗濯をしに来たり、ポリタンクに水を汲みに来ていました、この水の確保の初動作が災害時には必要なのですね。 こちらは小学校の避難所にて、京都から来た災害支援の給水車。これも「生活水」の設置です、このように蛇口を設置し、誰でも自由に使えるようにしたら足早に去って行きます、いわゆるタイガーマスク・・・。拡大するとわかりますが、こう配の水圧でポンプが無くてもちゃんと水道が出るようになっているんです。あれだけの災害時にまず生活水の確保がこれほど整っていたのはびっくりしました。 (本来は飲み水の確保が優先され、自由に使える生活水は整わない) 被災地に一番乗りで災害派遣で飛んで来たのはやはり阪神大震災を経験している関西の団体・消防・医療機関等でした、あちこちに私にとって懐かしの「神戸」「兵庫」「大阪」「なにわ」「京都」などのナンバーの災害派遣隊の車を見ました。やはり「初動作」が現地での被災者の環境に大きく左右するということです。  中でも一番驚いたのはコレ、手作りの簡易トイレです。阪神大震災の時はパワーショベルで穴を掘った穴に足場板を何本も並べてその隙間からするというのがありましたが、これはもう完全にトイレです。大工さんが作ったのかもしれませんが、災害時に、限られた環境や物の中でこういうのを一早く作る初動作というのは本当に参考になると思います。今回はいわゆる「水周り」のお話でした。
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2011/03/28 10:40|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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一旦溜飲を下げてくださいませ
尼崎の古き付き合いのインターネットカフェ・アロマオフザライフのマスターから届いていた。溜飲を下げる、一昔前の私だと
腹立つ奴シバいてすっきりする
という意味だと信じ込んでいたが、正確には、
「胸の中の精神的なつかえがなくなり、はればれする」
という意味。
いろいろ不条理なこともあったり、自分が無力であると思い知ったり・・・そう思うと確かに胸の痞えどころが水も通らない状態なのかもしれない、でも、今回のことで自分がまず最初に思ったのは感謝である。
岩手に行く時、羽茂のバイク屋さん、鉄工所、柿農家のひとらがガソリン缶を貸してくれた。正直これが無かったらお話にならないとこだった、未だに帰れず自分が被災者みたいになったかもしれない・・・・みんなありがとう。
とりあえずシコシコ磨いてキレイにした。
そして岩手に行くにあたってガソリンの燃費や雪などを考えた時に四駆の軽自動車が必要だったが、岩手までの長旅に耐えられる程度の車が無かったのだが、気兼ねなくワゴンRを貸してもらった。本当にありがとうございます、こんなことを言っちゃなんですが快適な道中を過ごすことができました。
佐渡に帰って洗車機にかけたが、液状化した被災地を走って粒子のような砂が細かいとこまで付いていて取れない。
ワックスをかけてウエスで隅々まで拭く。ありがとうと心を込めて拭く。その他にもお店に来て「これ、Mちゃんに役立てて」と20万もの大金を封筒に入れてポンと置いた人もいた、いろんな人のいろんな後押しであの凄惨な被災地に行くことができた。本当なら東北に行ってきたからと、いちご煮でも土産に買ってきてみんなに配るのだけど、今回はこれくらいしか恩返しができない、それも胸のつかえとなるのは事実だ。
話が長くなりましたが、それが「溜飲」と化していたのですが、帰って早々お店を開くとアロマスターからこんなものが届いたのです、
うおおおお!!!
天狗舞の文政六年!
私的に最高の純米酒!マスターありがとう!美味い!旨い!完全に米の味である!甘さがほとんどないのだが何故かすいすいと飲んでしまうまさに純粋な米酒!
誰にもあげない・・・あげないんだから・・・の図
この日は新潟から来たお客さんとかもいらして深夜には満席ながらにして私も疲れが溜まっていたのでしょうか?酒を抱いて気が付いたらそのまま寝ていました。
こうして溜飲は見事に下がったのでありました。
【お知らせ】 ただ今東北大震災により北海道、青森県より取り寄せています麺なの食材が届かなくなっており、ラーメンの販売が出来なくなっております。
エスライフなどを見て遠方からお越しの方には大変ご迷惑をおかけしておりますが、地震による現在の状況につきご理解の下さいますようお願いいたします。
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2011/03/27 17:06|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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間もなく佐渡高校と知弁和歌山の試合開始です。 被災地では包丁や鍋、鉄骨など重たい質量のものはジャンボジェット機250機が衝突するに匹敵する津波の運動エネルギーで恐ろしい圧力がかかり、それらは皆捻じ曲がり、凹み、折れ曲がっていた。その中でこの野球のバットが残骸のだらけの荒野に不自然に残っていた。 たとえ津波であろうとも軽く、強く、しなやかな特性を持つバットを力で折ることはできない。人の可能性も、生きる力も、瓦礫の中から蘇る草木もそうであるかのように。 大槌町は土地が狭く、満足に大きな球場とかでは練習はできなかっただろうが、ここにも甲子園やプロ野球を目指す球児達はいたはずだ。このバットにも様々な想いが込められて大切にされていたのかもしれない。 無事に開催された甲子園、初めての甲子園、初めての凱旋。 母なる甲子園球場は80歳を越えるお婆ちゃんだが、戦争の炎に耐え、阪神大震災に耐え、いつも君たちを迎えてくれる、そして待っててくれる。 佐渡高校ナインよ、母の懐で思う存分青春を謳歌してきてほしい。
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2011/03/26 09:02|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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岩手県大槌町の被災地から佐渡帰ってきました。
留守中、火事場泥棒みたいな五月蝿いクソが佐渡の店ではびこっていたようですが、ボスキャラが帰ればただの何処吹く風。佐渡に帰ってきて、買い物をしようとスーパーに来て最初に見たのはコレ、お札がギッシリ詰まった募金箱。
うれしいじゃないか、やるじゃないか佐渡…。
何処に、いくら寄付したか、俺はしたんだ、お前はしたのか、それは偽善だ、これは支援だ…
そんな野暮な話は狭っ苦しいネット世界で襟を立てうずくまって話し合えばいい。
たとえ小額だったとしても、募金箱にお金を入れる時に、
「これは自分が働いて稼いだ真っ当なお金です。何かのお役に立てて下さい」
という気持ちを大切にしてほしい。
この募金箱にはそんな真っ当なお金が、願いが詰まっているのだと心洗われた出来事でした。
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2011/03/25 11:23|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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被災地で一番辛いのはこの印を見ることだ。
車が5台あって5台全部にこのマークがされているのもあった、それはすなわち、津波の際に車内での死亡率が高いことを意味する。このマークのある場所で一つの、一人の尊い人生が終わった…。他の凄惨な現状はいくつも見たがこの血のような赤いスプレーでの印だけは慣れることはできなかった。
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2011/03/24 17:50|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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今回の被災地でのMさんのご家族の捜索で、残念ながら結果発見には至らりませんでした。今後毎日増え続ける犠牲者のリストを待つ、もしくは自分自身で捜すという選択肢が残されていますが、電気水道の復旧がまだなのと夜間の治安の悪さ、ガソリン不足などもあり、女性のMさんには精神的にも肉体的にも限界と判断しました。
一度盛岡に渡り、風呂や洗濯を済ませ、ガソリンを調達して私だけ残るつもりでいましたが、佐渡でトラブルが発生しているのも考慮して本日佐渡に帰路することを決めました。
いわきで被災した姉は東京に非難しましたが、こちらは原発の問題もあり、ローンの残る自宅やこれからの生活などの問題も深刻で、私も家族の一人として動きたいとこですが今は自分のできることからするしかありません。
今後も全力を尽くし捜索にに当たる所存ですがますは報告まで。
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2011/03/23 10:10|東北大震災|TB:0|CM:1|▲
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関東のNHKで岩手県の行方不明者は4000人と報道されてるようだが、本当に?なんでだ?
何故この大槌町は町の人口の半分の8000人もの人が行方不明なのになぜ重大報道されないんだろう…市と町の扱いが違うような気がする、ただ単に報道陣が交通が不便だから?。とにかく行方不明者の数がケタ違いなのは確か、この町だけで阪神大震災を上回る犠牲者が出てるかもしれないのに…。
当然、家族の誰かが行方不明の避難者も多い。行方不明者の捜索の人も足りない、足りるわけがない・・・真の報道をどうかしてほしい。
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2011/03/22 16:59|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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点在する避難所を周り名簿と目視で安否を確認する、あちこちで情報求むの貼り紙がされている、安否確認が取れない人は数千人とも報道され、町の人の半分は存在しないようなものだ。
その中でも東京などから安否確認に訪れた娘と奇跡的に避難して再会できた喜びで抱き合う姿などを見る度に「ああ、よかったね、本当によかったね。」と呟き、同時に希望が湧いてくる。そして、抱き合う二人を報道カメラマンが回り込んできて撮影する姿にも遺憾を感じなくなってくる。
数ヵ所に設置された遺体安置所は最後の砦とも言える…できれば避難所で発見したい、だが安置所は「いろいろな意味」でもう限界に近く、ある程度スムーズに確認出来るのは今しかない…。有効である歯形の照合などはカルテを保有する歯科そのものが消滅しているので困難である可能性もあるとのことだ。現時点で棺桶が足りない状態で、県外から大型トラックで組み立て式のがひっきりなしに搬入されている。
佐渡に避難してこられる人にはこれらの過程を、場景を見て、経験して来た人もいるかもしれない。この被災地に来て、もう嫌と言うほど聞いたのは、
「私は助かったけど、あの人は目の前で流されていった」
という話だ。
受け入れ側も志高く団結して決起することは確かに良いのだが、そればかりに目が行くと、真の意味での被災者支援から大きく逸脱しかねない。事務的に手続きや要請をする裏方は裏方に徹し、その中でも避難者は生と死の狭間に身を置いたのではなく、その狭間に「投げ出された」のだということをどうかしっかり認識して接してほしいのです。
ツイッター記事 http://twtr.jp/user/dagashiya39/status
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2011/03/22 01:03|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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凄まじい腐匂
一つのロープに何百個とある養殖の牡蛎が浮きごと陸の電柱などに打ち上げられている、それと打ち上げられたサバやサンマ、潰れた車のガソリン、灯油の匂いが海水と混ざっているのだ。
現状は見せられない光景と、書き込めない光景だらけ。
鳥ですら火災で蒸し焼きになり死んでいる…
なんとかしたくても小さな瓦礫ですら人の力では持ち上げることはできない、重機が来るのを待っのみである。
絶望と希望のせめぎ合い…、自分を保つ、全つ、存つ、任つのだ。
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2011/03/21 13:25|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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本来なら避難所となる学校の校舎、三階までもが…
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2011/03/21 11:54|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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ここは本当に日本なのか?…
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2011/03/20 18:03|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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では行ってきます!
みんな風邪ひくなよ!
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2011/03/18 22:27|東北大震災|TB:0|CM:0|▲
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